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【注意】将門塚や神田明神は「成田山新勝寺」とお参りしてはいけないよ!

将門塚 成田山新勝寺タブー 生活
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地域のコロナワクチンの接種予約が全然とれず、何度目かのチャレンジでようやくとれた自衛隊の大規模接種センターで受けることに。

東京の自衛隊接種センターは大手町にあり、有名なパワースポット「将門塚」のすぐ近くです。

平将門の首を祀る「将門塚」は2021年4月に改修工事が完了してすごくきれいになったらしく、

一度行ってみたいなあ

と思っていたんですよね〜。

しかし、パワースポットだからって気軽にみんな行けばいいというのは大間違い!

私は先日、成田山新勝寺にお参りに行きました。

将門塚は、成田山新勝寺と続けてお参りしてはいけません。
ご利益どころか、反対のことがおこるかも……。

理由は歴史背景にあります。

将門塚とは

「将門塚」「しょうもんづか」と読みます。

平将門(たいらのまさかど)の首塚
復讐に燃える霊をなだめるために作られました。

将門塚の場所

将門塚の場所は、東京国税局近くのビルの谷間(東京都千代田区大手町1丁目2番1号外)にあります。
大手町駅のすぐそば。

アクセスもよく、かなり都心にありますね。

伝説によると、京都で晒された将門の首は、三日後、白光となって舞い上がり、故郷へ向かって飛んで行ったとか。
ここが首が飛来した地だったというわけです。

平将門とは

平将門(たいらのまさかど)は、平安時代に関東で起きた大規模な反乱である承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱(931~40)を起こしました。

将門は桓武天皇の血を引きます。

承平元(931)年、一族の内紛に端を発して、武蔵(東京都、埼玉県)や常陸(茨城県)の国司と郡司、国司と地元の有力者との対立に介入。
天慶2(939)年、常陸の国府を焼き払うと国守を追い払って、みずから新皇(しんのう)と名乗ります。

これにより国家への反乱とみなされた将門は、天慶3(940)年2月に下野(栃木県)の豪族・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と甥の平貞盛(たいらのさだもり)らの軍に討たれました。

『俵藤太絵巻(たわらとうだえまき)』には、往来を行く将門のさらし首の場面があります。

将門の祟りとされる伝承

将門塚の場所は、明治期に当時の大蔵省の敷地となりました。
大蔵省再建工事の際に、首塚は取り壊されます。
その後、大蔵大臣や工事部長が突然亡くなるなど続けて不幸があったそうです。

昭和15(1940)年6月には、落雷で大蔵省庁舎も焼失してしまう火災が起こりました。
また、太平洋戦争後、米軍が首塚を整地しようとした時にブルドーザーの横転事故が起きて運転者が亡くなっています。

「将門の祟り」とされる伝承ですが、真偽は不明……。

しかしそれらの結果、大手町周辺がどんどん高層ビル街へと発展していっても、将門塚は移転を免れて残ることになり、現在でも毎日多くの人が参拝しているのですね。
近くの企業が参加した「史蹟将門塚保存会」が設立され、将門塚の管理をしています。
(参考:国税庁

成田山新勝寺は平将門の乱でできた

成田山新勝寺は、平安時代中期、東国で起こった平将門の乱に始まります。

東国の混乱をおそれた朱雀天皇の密勅により寛朝僧正が、京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、天慶3年(940年)海路にて房総半島の尾垂ヶ浜に上陸。
平将門を調伏するために下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行ったのが、開山の起源です。

その後、将門は戦死。
朱雀天皇は、不動明王の霊験だと歓喜しました。
そして、不動明王のお告げにより、関東を守る霊場として成田山新勝寺が開山。

平将門をやっつけるためのお寺として、成田山新勝寺は生まれたというわけです。
(参考:平将門

将門塚の他、神田明神などもタブー

成田山新勝寺への参拝は、将門を苦しめるとされています。

よって、将門塚の他に、将門を祭神とする神田明神・築土神社にも参拝してはいけないというタブーがあります。

成田山へ参詣するならば、道中に必ず災いが起こるという言い伝えがありました。

タブーは今でも

将門とその家来の子孫は、千年以上たった今でも成田山新勝寺へは参詣しないそうです!

築土神社や神田明神の氏子も、成田山に参拝すると将門の加護が受けられないとの言い伝えにより、参詣しない人が多いとのこと。

千葉県佐倉市将門に古くから住む方々も参詣しない家が多く、かつて政庁が置かれた茨城県坂東市の一部にも参拝をよく思わない風潮が残っているそうです。

例年、成田山新勝寺で行われる節分豆まきにNHK大河ドラマの出演者は参加します。
しかし、将門が主人公の1976年大河ドラマ『風と雲と虹と』の出演者は、豆まきの参加を辞退しました。

もともと神田明神の祀られていた地なので、将門塚→神田明神と行くのは全く問題ありませんね。
(参考:将門塚

まとめ

成田山新勝寺は、平将門の乱を鎮めるためが発祥だったという歴史背景がありました。

将門塚は成田山新勝寺と続けてお参りしてはいけません。

とはじめに言っちゃいましたが、これらはあくまで民間伝承であり、神田明神側が出版した本では両方を参拝すると祟りがおこるということはないとハッキリ否定しています!

単なる迷信かもしれません。
しかし、触らぬ神に祟りなしとも言います……。

今もなお、これだけ伝説を残す平将門のパワーはすごいですよね。

安易にパワースポットだからと飛びつくのではなく、少し歴史背景などを勉強してみるとおもしろいです♪

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